先日、ふと思いついた一文を、メモに書き留めました。
自分自身への問いが立てられなくなることを、老害というのかもしれない。
書いた瞬間、自分でちょっとひやっとしました。

「老害」と聞いて、たぶん多くの人が思い浮かべるのは、 時代についていけない人とか、若者を否定する人とか、 そういうイメージだと思います。
でも、それは表面的なものなのかもしれません。
本質的には、もっと内側にあるのではないか。 「問いが、立たなくなった」ところに。

自分の中に、新しい問いが生まれない。 答えだけが並んでいて、疑いが入り込む余白がない。
「これで良いのか」という小さな疑問が、 いつのまにか消えていく。
そういう状態が、たぶん、老害だと感じました。
自分はどうだろう、と思います。
問い続けているだろうか。 「これで良いのか」と、毎日、思えているだろうか。 答え合わせばかりして、いないだろうか。
書いていて、少し怖くなりました。

たぶん、年齢の問題ではありません。
30代でも問いが止まれば老害だし、 70代でも問い続けていれば、たぶん若い。
自分の中の問いが、止まらないように、しておきたい。
と、人によってはしょーもないことを たまには真面目に考えてみました。